『Happy!』は『20世紀少年』『PLUTO』等、数々の名作を生みだした浦沢直樹のテニス漫画です。
兄の大借金を背負った主人公・海野幸(うみのみゆき)が幼い弟妹を守るため、テニスで賞金を稼ぐというストーリー。
スポーツものとしての動機は邪道感がありますが、テニスのストーリーは昭和のスポ根そのものという不思議な作品。その2面性がキャラクターにも表れており、「一筋縄ではいかないスポーツ漫画」です。
『Happy!』の簡単なあらすじ
亡き両親に代わり3人の弟妹達の面倒をながら暮らす海野幸は、ある日、兄の借金2億5千万を背負うことに。
体を売る代わりに彼女が選んだ道は、「プロテニスプレイヤー」だった。
はたして、幸はテニスで借金返済ができるのか?
完結漫画『Happy!』のおすすめポイント
ここからは、私の『Happy!』おすすめポイントを紹介します。
単純、だから何?というストーリー
浦沢直樹先生の作品はたくさん読みましたが、実は私のベストは『Happy!』です。
どの作品も続きが気になるのですが、こんなにも続きが気になるお話はなかったです。
いや、ストーリー的には『Happy!』はすごく単純なのです。借金を背負わされた美少女がテニスで頑張る話。
The王道のストーリーで、特にひねりはありません。
浦沢直樹作品の中では、マイナーともいえる本作。謎に満ちた『MONSTAR』や『20世紀少年』を読んだ人、『パイナップルARMY』や『MASTERキートン』の蘊蓄たっぷりで切れ味の鋭いストーリーを楽しんだ人にとっては、「それだけ?」と思うかもしれません。
しかし、それがイイ。
ストーリーが単純だからこそ、キャラクターの心情や動きが明快に伝わってきます。そして、主人公を応援したくなる。
またテニス以外の部分に目をやってみれば、ストーリーもそこまで単純ではありません。
海野家の運命はもちろん、ライバルやコーチ陣の人生についてもハラハラドキドキする部分はあちこちにありますので、退屈することはないと思います。
いじめ描写やブーイング描写が多いので最初はかなりフラストレーション貯まるかも、ですが、はまれば最終巻まで一気読み不可避のストーリーだと思います。
登場人物たちの成長
スポーツ漫画は、多くの場合主人公の成長を見守る物語となります。それは、技術的な意味ではもちろん、精神的にもです。
『SLAM DANK』の桜木花道は、キレやすい不良から勝負を楽しむ立派なバスケットマンになりました。『アイシールド21』の小早川セナはパシリが日常の気弱な性格から、大選手を前にしても物おじしないスーパープレイヤーになりました。
では、『Happy!』は?
実は海野幸はほとんど当初から変わらないのです。!
選手や世間からブーイングを受け、借金取りに脅されても屈しない、強いメンタルを持つ女の子。
自分の力で、テニスで、家族を守るという周りがみんな否定するような道を決して曲げない主人公です。
もちろんテニスの技術的には進歩してく場面はあれど、人間性もテニスとの向き合い方も、そして周りに対する態度もほとんど変わりません。まさに、初志貫徹型の主人公です。
『Happy!』において、変わるのは周りの登場人物たちです。
例えば、幸が学生時代から憧れていた鳳圭一郎(おおとりけいいちろう)は、幸に思いを寄せていますが甘々のおぼっちゃんで彼女を守る力はありません。竜ケ崎蝶子(りゅうがさきちょうこ)という幸のライバルは、非常にえぐい性格をしていますが、決して周囲に自分のあくどさを気づかせないしたたかさを持っています。、他にも教え子を八百長に巻き込もうとするコーチのサンダー牛山、自暴自棄になっている借金取りの桜田などなど、幸の周辺には弱かったり、ひねくれていたりする登場人物であふれています。
しかし、彼らは幸の頑固ともいえる一途さの前で変わっていきます。それが、本作の大きな魅力になっています(ネタバレになってしまうから言いませんが、終盤ではかなり意外な人物も…)。
幸の周りにいる意地悪な人、心は優しいけれど大事な人を守れない弱い人、不器用な人、そして本当は純粋なのに夢をあきらめてしまった人達は、自分や周りにいる「当たり前の人」を思わせます。
そんな周りを変えてしまう幸の戦いっぷりは、テニス漫画で終わらない魅力を感じさせてくれます。
今の世の中の雰囲気にも共通する世知辛さ
『Happy!』の世界には、最初から悪意が満ちています。幸の兄は貧乏な環境を一発逆転するために、いつも分かりやすい詐欺に引っかかってしまいます。
借金取りは容赦なく、幸をソープに売り飛ばそうとします。
貧乏で、テニス界の大御所鳳唄子(おおとりうたこ)から敵視されている幸は、練習仲間からも嫌われます。また、なりふり構わない勝ち方は世間からも嫌われ、幸が出場する試合は喝采ではなくブーイングが鳴り響くことで有名になります。
一度世間に嫌われた幸がどれだけ良いプレーをしても、観客はもう「あのプレイヤーは卑怯だ」という認識しか持ちません。
「どうしてあんな戦い方をするのだろう」という背景などには興味を持たず、ひたすら幸をバッシングし続けます。
こんな光景は、今の世の中にあふれている気がします。ネット上には「楽して稼げる」という情報が盛りだくさん。SNSはバッシングのあらしで、一度「たたいてよい」と思われた人間はとことん非難されます。
『Happy!』は今から20年以上前の作品ですが、その中で書かれている幸の立場は現代にも通じる、むしろ現代に生きる人の方が強く共感できるものかもしれません。
そんな逆境の中、信念を貫こうとする幸の姿は、「今辛い人」の励みになるのではないかと思います。
『YAWARA!』を既読してから読んでほしい
『Happy!』の前に浦沢直樹先生が描いた女子スポーツものが、『YAWARA!』です。
女子柔道という当時珍しいテーマを扱い、大きな話題になった『YAWARA!』。天才柔道家の猪熊柔(いのくまやわら)が、自身のトラウマと向き合いながらオリンピック優勝を目指すというストーリーです。
『YAWARA!』のブームは現実の女子柔道界の知名度を押し上げ、同時期に女子柔道界で活躍していた田村(谷)亮子選手は、「ヤワラちゃん」の愛称で呼ばれるようになりました。
『YAWARA!』を読んだ人ならすぐ気づくと思いますが、『Happy!』は『YAWARA!』との類似点が非常に多いです。
まず、主人公。名前は漢字一文字で、キャラクターデザインもよく似ています。
主人公だけではありません。幸の恋する鳳圭一郎は柔が好意を寄せるプレイボーイ風祭進之介に、借金取りの桜田純二は柔を追いかける新聞記者の松田耕作に、ライバルの竜ヶ崎蝶子は、柔の柔道のライバル本阿弥さやか+恋のライバル加賀邦子にそっくりなのです。
しかし、この『YAWARA!』そっくりの登場人物というところが大きなポイント。それぞれの登場人物の行動は『YAWARA!』に似ているようで似ていません。ネタバレになるので伏せますが、ある登場人物などは後半『YAWARA!』のあの人と同一視するのは失礼だった…と思うほどの大きな成長を見せます。
ストーリー展開も対極的です。『YAWARA!』が「周りが柔道をさせたいのに主人公は柔道を避けている」のに対して、『Happy!』は「周りからのテニスに対する妨害を乗り切って、主人公がテニスを続ける」物語なのです。
もし『Happy!』を読むのなら、『YAWARA』もぜひ一緒に読んでほしいです!そしてその違いを比べてみてください。
私の個人的おすすめキャラクター。この登場人物を見てほしい!
幸はもちろん好きですが、個人的に注目したいのがコーチの「サンダー牛山」と借金取りの「桜田純二(さくらだじゅんじ)」。
幸とのかかわりによって変わっていく二人で、その様がほほえましい。
サンダー牛山は見るからに怪しい中年オヤジで、最初はただの八百長野郎ですが、だんだん幸を大事に思うようになる描写がみていてほっこりしますね。
ライバルコーチとのエピソードも弱者が強者に勝つようなところがあり、面白かったです!
桜田も最初はただの借金取りですが、実は過去にいろいろあった元熱血少年だったことが分かってきます。
幸にひかれていきながら、サラ金の取り立て屋という立場上『YAWARA!』の松田ほどストレートに好意を示せない姿がもどかしいです。彼のラストには「こう来たか!」という驚きがあり、王道ハッピーエンド以上に幸せな気持ちにさせてもらいました。
なおインパクトでいえば、テニスと恋のライバル竜ケ崎蝶子にかなうキャラクターはいないと思います(笑)好きか嫌いかに関わらず、絶対に印象に残るキャラクターです。
こんな人におすすめ!
『HAPPY!』はこんな人におすすめの漫画です。
- 理不尽な世の中に立ち向かう元気が欲しい人
- 『YAWARA!』ファン
- 王道ストーリーが好きだけど、王道すぎるストーリーに飽きてきた人
- テニスをあまり知らないけどテニス漫画を読んでみたい人
『Happy!』の書籍情報
著者:浦沢直樹
全23巻(ビックコミックスピリッツ)
完全版は全15巻(現在電子書籍で読みやすいのは完全版の方です)
最終巻発売日 1999年7月
ジャンル:青年漫画 テニス スポーツ